海外旅行 ドイツはベルリン観光ブログ ベルリンの壁や歴史なども興味深い
ドイツ旅行
まずは歴史について少々語りたいと思います。
ドイツの首都ベルリン その1
ドイツはヒトラー率いる第三帝国が第二次大戦で連合国と戦い敗戦、連合国による分割占領となりました。
当初は主要4ヵ国による共同運営のような形ですべり出したものの、結局は決裂。旧ソ連が東側のドイツ民主共和国(東ドイツ)を、
他の3ヵ国が西側のドイツ連邦共和国(西ドイツ)を分割統治する形で独立し、両国はエルベ川を境に東側の共産主義陣営と西側の資本主義陣営に分割されてしまいました。
この中で問題となったのは、首都ベルリンの扱いです。ベルリンが位置していたのは東側のドイツ民主共和国の領内でしたが、
首都機能をまるごとソビエトのものにするわけにはいかないと難色を示した他の3ヵ国によって、ベルリンだけさらに東西に分割されてしまいました。
そんな経緯から、ベルリンはさらに東西に分割されてしまい、資本主義陣営だった西ベルリンは東ドイツ領内にぽっかりと
浮き島のように孤立する飛び地のようになってしまいました。
人材の流出を危惧した東ドイツ政府により、この分断はさらに壁を作って往来を拒むという形にまでエスカレートしました。
壁を乗り越える者は直ちに射殺されました。
結局、西ベルリンは西ドイツ領とは東ドイツ領に隔てられた土地になってしまい、首都としては使い物にならなくなってしまったので、
西ドイツは新たにボンに首都を移しました。
このように、特殊な状況下に置かれてしまったベルリンは、東ベルリンこそ東ドイツの首都として機能しましたが、
西ベルリンは1989年のドイツ統一まで東側に対する緩衝地帯のような形で留め置かれたので、
ベルリンの街というのは皮肉ですが歴史上類を見ないユニークな形の街として発展しました。
ドイツ統一から30年近くが経過し、壁も取り除かれましたが、分断国家の中のさらに分断された都市として戦後長きにわたって存在してきた特殊な街の残滓は、
今でも街のあちこちに残されています。
統一ドイツになってから再び統一首都となって歩み出したベルリンですが、そんな負の遺産がいまも貴重な観光資源となって街に人々を集めています。
ベルリン市街地
綺麗ですね^^
ベルリンの壁
旧西ベルリンと旧東ベルリンが接していた45kmに渡って、人材流出を危惧した社会主義時代の東ドイツ政府によって1961年から建てられたコンクリート製の壁です。
これは東西ベルリンを隔ててきただけでなく、東西ドイツの人の心まで引き裂いてきた負の遺産であり、ドイツの歴史上、ナチス第三帝国と並ぶ汚点だと思います。
しかし、分断国家の悲劇を二度と繰り返さないという教訓を後世に伝えるため、壁のほとんどは取り払われましたが、
ベルリン市街地東部のシュプレー川に沿ったイーストサイド・ギャラリーと呼ばれる場所では保存されていて、分断国家を皮肉った様々なペイントとともに、
当時の雰囲気を感じることができる場所となっています。
有名な、社会主義時代の東ドイツの書記長ホーネッカーとソ連の書記長ブレジネフがキスをしているインパクトある壁画もここで見ることができます。
なお、崩されたベルリンの壁の破片がかつてはあちらこちらの土産物屋さんで売られていましたが、
後になって壁の材質に有害なアスベストが混入されていることがわかり問題になったので、現在では売られていないかと思います。
ベルリンの壁
イーストサイド・ギャラリー